元海苔問屋:サイジ(ようこ父)
長野県岡谷市出身、船橋・杉並を経て袖ケ浦へ
終戦の年 生まれ、6人兄妹の5番目 次男です。
16歳から“口減らし”で家を出され、船橋市の海苔問屋へ丁稚奉公に入りました。本当は高校に進学したかったのに。
20代で独立し、70歳くらいまで営んでいました。
結婚したあと40年ほど蔵波台で暮らしています。
卸だったので小売をしておらず、あまりご近所の方との接点はありませんでした。
商人であり、海苔に関しては職人でもあります
海苔を見る目は確かです。
仕事を辞めて「もう海苔のことは考えたくない」と言いますが、新海苔の時期、海苔の話題には目を輝かせています。
生粋の商人なので、目にするもの、耳にすること、経営者さんやアルバイト、働く人と接する時も常に商売目線です。
「この商材ならイケる」「この店のキャパでこの商圏なら減価率これぐらいでこうしたら儲かる」「経営者のセンスが鋭い」「こういう人材はこう生かさないと商売に響く」などなど、常に頭の中で数字をはじいて、“商売”というフィルターを通して社会と接するタイプです。
朝はまだ暗いうちから、夜は深夜1~2時まで。
現役だった頃はひたすら働く人でした。
18歳「日本一周」を目標に、ヒッチハイクで旅に出ました
フットワークが軽く、お出かけが大好きです。
18歳、一般的に高校を卒業する歳。
高校に進学したかったのにやむなく働き出したこともあり、「誰もできないことをしたい」という思いがありました。
「仕事を辞めて旅に出たい」と実家に相談に行くと両親は(当然の)猛反対。
反対を押し切って、「ヒッチハイクで日本一周」を掲げてリュック1つで旅に出ました。
途中、駅のホームで寝ている間にカメラを盗まれるというハプニングに見舞われつつ旅は進み、大分県の国東半島の売店で買った牛乳にアタり腹痛に耐えきれず断念しましたが、100日間で13府県を周りました。
好奇心は強め、見たことない景色を見たい、たくさんじゃなくてもいいから美味しいものを食べたい。
77歳、運動神経は良い方です
社会や経済、仕事の話は好き。
人の自慢話は一切聞きません。
不健康自慢や愚痴は1分と持たず「話がつまらない」って顔になります。
ですが、人は好きで、人当たりも良いです。
虫は平気ですが、犬や猫は苦手。
野球とお相撲と車&運転が好き。
披露する場はありませんが、歌うことも得意です。
手先は不器用ですが、運動神経は良いです。
動きが俊敏で、卓球は我が家で1番うまいです。
散歩も大好き。