ローカルメディア/地域新聞をやろう!ってことはすぐに思いついたのに、二十歳まで育った自分の町のことほとんど何も知らないことに気がついて。
袖ケ浦市郷土博物館に行ってみました。
子供の頃に何度か訪れたことがあったけれど、当時は自分の町に興味がなかったので、どんな物が展示されていたのか全く覚えていませんでした。
が、今は違います。
興味を持って館内を歩いてみると、発見がいくつも散らばっていて。
当時と展示物は変わっているとは思いますが、「好奇心」や「興味」がベースにないと情報や知識ってただ通り過ぎていくだけというか、身につかないものですねって改めて。
主幹 学芸員:キリちゃん
担当してくださったキリちゃんさん(以下キリちゃん)、次から次へと貴重な資料を見せてくださいました。
「蔵波台」の本があったなんて!
「蔵波台」地名の由来
1番知りたかったのは、コレです。
「蔵波」って素敵な地名だと思っています。
万人が知ってる一般的な漢字、読み方も素直で響きもきれいです。
何よりも、「蔵波」って地名は全国でココだけです。(たぶん)
…ササッとググった感じ、ヒットしなかったので…
ちなみに、「袖ケ浦」は千葉県習志野市にもあり、「長浦」は愛知県知多市にもあります。
歴史的なことを調べるとまあまあの確率でブチ当たる言葉、「諸説あります」。
はい、「蔵波」の地名の由来も御多分に洩れず…諸説あります。
この辺りが丘陵地帯なので、海から見るとたくさんの蔵造りの建物が波のように見えるとか。
ちなみに、「蔵波」は、蔵並・倉波・倉並と書かれた記述もあります。
蔵並は“蔵が並ぶ”と読み解くこともできます。こじつけですかね。
今回は『袖ケ浦市史 自然・民俗編』にある記述を見せてもらいました。
袖ケ浦市がオフィシャルとしている説を紹介しておきます。
薬蔵寺の縁起に、「天平二年、関東御修行の行基菩薩が相模から上総へ御渡海のとき、富津岬で突風におそわれ御船は漂流したが、御僧は泰然として真言妙典を誦経し給うたところ、海は静まって無事この浦に上陸なされ、ありがたやこの浦は波の蔵(おさ)まるところなり。と申された」ので以来、蔵波といわれてきたと伝えられている。
『袖ケ浦市史 自然・民俗編』
なんだか少し、「袖ケ浦」の地名の由来とストーリーが似ているような。
地名「袖ケ浦」の由来/袖ケ浦市ホームページ
薬蔵寺さん→長浦の東京靴 流通センターの交差点から坂道を上ったところにあるお寺です。
天平二年→西暦でいうと730年。2022年から計算して1292年前!
行基さん→近畿地方に縁のある仏教の僧侶。
偉大な方のお言葉からいただいた地名なのですねってことを知りました。
行基さんのページ/奈良県歴史文化遺産データベース「いかす・なら」
かつての地名“字(あざ)名”、ご存知ですか?
現在は蔵波、蔵波台1〜7丁目と表記されていますが、かつてはそれぞれに字名がありました。
蔵波台2丁目にある姥坂(うばざか)公園や5丁目にある清水頭公園など、公園の名前として名残のある地名もあります。
蔵波も宮田や辺田(へた)、上蔵波、下蔵波など細かく地区が分かれていました。
キリちゃんに古い地図を見せてもらい、現在の地図と照らし合わせて説明してもらいました。
蔵波台にはたくさん坂道がありますが、その坂の一つひとつにも名前が付いていたりします。
カジュアルにフィールドワークしてみたくなりました。
古地図を元に町を歩く。
石碑やかつての地名を探すお散歩。
ビールとサンドウィッチとか持って。
「カジュアルに」が肝です。
ガッチガチな「歴史を学ぼう」みたいな会が死ぬほど苦手なので…。
蔵波城のこと
住所は長浦駅前1丁目ですが、八幡神社さんや愛宕神社さんがある頂部にあった蔵波城。
「お城」と聞いて思い浮かべるほどの規模ではなかったように思いますが、このエリアにお城があったこと、ご存知ない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
お城のあれこれは、氏神様のことを調べたら次のステップでと思っています。
1つ知ると100の疑問が湧くループ。
キリちゃんみたいに詳しい方に教えてもらいながら、ひとつずつゆっくり紐解いていけたらと思っています。
2022.7.26