延命山 智山派 正光寺

“お寺”と聞くと、葬儀やお墓参り、大晦日につく除夜の鐘というイメージですが、お寺は地域のシンボルなんです。

人の暮らしが集まり、集落ができると、そこで亡くなった人を供養するためにお寺が建立され、地域で暮らす方が檀家さんとなります。
普段は、人が集まり・繋がり、そして寺子屋として学びの場にもなり。
お寺は日常的に地域に開かれて、地域の方に愛される身近な場所でもありました。

蔵波台は先祖代々この地に暮らしてきた人が少ない新興住宅街なので、蔵波にお寺があることは知っていても、普段から足を運ばれている方は少ないと思いますが、お寺を知ることは地域の歴史を知ること。

…ということで、ローカルメディアを始めるにあたり、600年という歴史を持つ蔵波のお寺 正光寺のご住職にお話をうかがってきました。

2000年に京都から来られたご住職。
髙野さんが来られる前の住職さんが亡くなられた後8年は住職が不在の期間がありました。
その間、ご近所の方がお掃除をしてくれたりお寺を守ってくれていたそうですが、檀家さんが離れてしまったり、髙野さんが来られた当初は草木が生い茂っていたそうです。

「私が来て最初の5~6年は、蔵波の地域の役員の方たちと、地域の檀家さんをもう一度しっかりまとめてどう立て直そうか手探りで。少しずつ復興させながらいろんなことに取り組んできて、今があるんだよね」
ご住職の傍ら、地域でのボランティア活動などにも参加されていく中で蔵波を中心にしたエリアの成り立ちや歴史に触れられてきました。

「正光寺は600年も前に、このあたりにたくさんある在原家の本家の方が建てたので、在原家の菩提寺になっているんだよ」
600年も前からこのあたりに暮らしていた方がいたということに驚くと、「上蔵(かみくら)と呼ばれるあたりは平安時代から集落があったんだよ」とご住職。
“蔵波台”の歴史は50年ほどですが、“蔵波”エリアの歴史の深さを感じます。

蔵波は海苔養殖でまとまり、栄えたエリア

「もともとこのあたりは貧しい村だったの。昔から田んぼと畑はやってたんだけどね、丘陵地帯だから段々畑みたいな感じの田んぼで。あとは山から薪をとって都市部に売ってお金にしていたらしいんだよね。
でも、東京の大森の人たちがこのへんの人に海苔養殖を教えてくれてからは、遠浅の海を活かして家族総出で海苔をやってたの。昭和20年とか30年ごろは盛んだったみたいだよ。9月の彼岸花が咲くと海苔漁が始まって、正月のご進物用に海苔を売ったりね。
その頃はみんなだいたい同じ収入で、生活スタイルも同じだから祭りも冠婚葬祭もみんなが休めたの。集落がまとまっていたんだよね。
でも、昭和40年代にこのあたりの干拓事業が始まってそれぞれ違う仕事を始めたら生活スタイルがだんだんバラバラになってきて。
昔は蔵波に8つぐらいの地区があったんだけど、地区同士の交流も海苔でまとまっていたのが各地区ごとに分かれていったんだよね。
蔵波台が造成されて、当時海苔をやっていた方が地主になったんだよ。」

“つぶだち”ライターは、蔵波台にあった海苔問屋の娘。
自分が暮らす町のルーツに海苔があるのは、とても誇らしい歴史です。

正光寺はお地蔵さん信仰の寺

「私がこの寺に来た頃、寺に来てくれる人がとても少なかったの。寺があることは知っているけど、来てはくれない。
寺の名前も知らない。このあたりは谷(やつ)っていう地区だったんだけど、正光寺じゃなくて“谷(やつ)の寺”って呼ばれてて。
お地蔵さんを信仰している人がいたみたいだけど、住職がいない間に途切れちゃったんだよね。だから、行事を増やしたりいろんな試行錯誤を繰り返したよ。
そのひとつが七五三。」

七五三は神社のイメージが強いですが、成田山新勝寺などお寺でも御祈祷してもらえるところはあります。

「子供たちも一緒にお寺に来てもらいたかったんだよね。どうしたら良いか考えて始めてみたの。最初のうちは「なんでお寺で七五三を始めたの?」って檀家さんに聞かれることもあったんだけど、成田山も同じ真言宗智山派で七五三をやっているし。
最初1年に30〜40人だったんだけど、だんだん認知されていって、ここ4~5年は180人とかになったんで、今は秋だけじゃなくて春もやるようになったんだよね。」

順調に人気が上がっていったんですね。

「そんなことないよ、ずっと試行錯誤。私はね、地域の子供も減ってるし、このまま七五三をやってても意味がないかな?って思う時期もあったんだけど、家内の助言もあって写真を撮り始めたの。ちゃんと撮影しようと思うと着付けを頼んだりプロのカメラマンとか5万円ぐらいかかるんだけど、うちはお寺なんで御祈祷料はいただくけどその中で撮影もやってみたの。髪も着付けも家内がやるんだよ、近所の方のところに教わりに行ったり。
着物も、最初はうちの娘たちの着物を着てもらってたんだけど、浅草に買いに行ったり。そのうち近所の人から使わない着物を譲ってもらったりしてね。
通常の撮影はたくさんの写真の中から何枚か選ぶスタイルなんだけど、うちはデータの全部をあげるの。喜んでもらえると、3歳で来てくれたご家族が7歳でも来てくれたり、来てくれた人の口コミで広がっていって今があるから。
10年やらないと結果は見えてこないんだなって。やり続けてきたからこそ、知らず知らずのうちに花咲くわけだよね。」

「昔は「ここはもともと地元にいる人の寺だ」って蔵波台の人からすると壁があったと思うんだけど、私が住職になっていろんなことに取り組んできて今は来やすくなったんだよね。檀家じゃない地域の人も初詣に家族で来て知り合いに会ったり、年末には地域の子供たちがここで同窓会をやってたりね。

谷(やつ)坂に法語を出してるんだけど、あれも地域の人との繋がりの1つなんだよね。
月に1回張り替えていて、15年ぐらい前の話だけど、そんなに注目されてないと思っていたから取り替える時期をいいかげんにしていたら、電話がかかってきて「変わってませんよ」って言われたの。驚いたよ。
最初は本からとか抜粋して書いていたんだけど、それだと人の言葉を借りてるだけだから伝わらないと思って自分の言葉で書くことにしたり。
法語は檀家さんに限らず、坂を通る人の目にとまるから。法語を写真に撮ってる人の姿を見て、お寺を身近に感じてもらえることの1つだと感じたんだよね。」

私が子供の頃は、お地蔵さんがいるこの坂は鬱蒼としていて木のトンネルというか切通しみたいな良い雰囲気で涼しかったのでよく通っていました。

「うちのお寺は“正光寺”として知ってほしいわけじゃないの。ここはお地蔵さんのお寺なんだって知ってほしいの。お寺までは入ってこなくても坂道のお地蔵さんに手を合わせたりね」とご住職。

坂道の六地蔵さんは見覚えがある方もいらっしゃると思いますが、境内にはたくさんのお地蔵さんが。
上の写真右手に進むとすぐに見えてきます。
足を伸ばしていただき、普段「お地蔵さん」と呼んでいる地蔵菩薩のこと、なぜ“六”地蔵なのかなど、ご住職に会えたら是非お寺のこと、お参りのこと尋ねてみてください。

正光寺さんは駐車場もありますし、すぐ近くで墓地の管理もされています。
私も人のことは言えませんが、永遠に車を運転できるわけではありません。
バスやタクシーでお墓に行けると思うのは若いからです。年を取れば自分の体の管理で精一杯になり遠方のお墓は足が遠のきますし、気がかりが増えます。歩いていつでも行ける距離でお墓参りができるのは亡くなられた方の供養にも、ご自身の気持ちの安らぎにもなります。
このあたりのことは、大事な家族をなくされた方でないとわからないことだと思いますが、元気なうちに考えておいたほうが良いことでもあります。
ピンと来たら、「宗派とは」「檀家とは」などもご住職にご相談ください。
自分が暮らす地域にお寺があって、そこにご住職がいらっしゃるというのはとてもありがたいことです。

ちなみに写経会など、檀家さん向けの催しも開催されています。
コロナ禍の状況によって変更などもあると思いますので開催の詳細は正光寺さんへお尋ねくださいませ。

集落の中心にお寺がある暮らし…「昔の話?」いいえ、昔からずっと続く「今」の話です。
普段、生活で使わない坂道かもしれません。
たまにはお散歩してみてくださいね。

2022.7.11

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